無事手術を終えた夫は、手術から約2ヶ月後、関西方面の大学病院に入り特殊な放射線療法を受けることになりました。
その放射線療法を受けた人で亡くなった人はまだいない、という情報を手にいれた夫の両親が決めたことでした。
1ヶ月ほどの関西入院生活。このころは「私が倒れるわけにはいかない」そんな思いで、
毎週関西に通ってました。
初夏、一通りの治療が終わって夫が家に帰ってきました。しばらくして夫は無理のない程度で仕事に復帰。
2人の生活が戻ってきたのですが、やはり気持ちとしては以前とは違うものでした。私の心の中にはいつ何が起こってもおかしくない、
そういう思いが常にありました。
夫が自分の状態についてどのように把握していたのか、それはあまりわからないのです。
この当時、ガンだとわかってすぐに本人に告知、ということではありませんでした。家族が呼ばれて医師から告げられました。
本人には脳腫瘍で手術が必要だと伝えましたが、それほど細かくは伝えなかったのです。
インターネットが無い時代、自分でドンドン情報を集めることができません。
本などからそれなりに調べていたとは思いますが、詳しいことは知らなかったと思います。
一度夫が何かで調べたみたいで「脳腫瘍で亡くなった野球選手の○○さんと自分は似ていると思うんだ。」と言いました。
その時私は「脳腫瘍といってもいろいろタイプがあるからねえ。」と答えました。
夫から自分の状態はどうなんだと問いただされたらどうしようかと思っていましたが、
そういうこともなかったのです。それは私への気遣いか、最初の手術で脳を取っているし、
かなり強烈に脳に放射線を当てているため、脳の状態は不安定になっていてあまり考えられないためなのか、わかりません。
夏が過ぎ秋、夫の状態が悪化。ガンが全身に転移していることがわかりました。
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