夫、間もなく入院、手術。
右前頭葉のこぶし大の腫瘍を取ると、人格や性格が変わることがあります、そう医師に言われました。手術後は、今までの夫とは違う人になってしまうかもしれないの?じゃあ、今の夫とは、これでお別れということ?いろいろな思いが湧き出てきました。
幸い手術後も今までの夫と変わりませんでした。もともと穏やかな人でしたが、さらに子供返りしたような感じ。穏やかな人が狂暴になることもあると聞いていたので、変わらぬ夫にほっとしました。
この先、いつ、どうなるかわからない、それは出口がどこにあるかわからないトンネルの中にいるようなもの、いつ終わるかわからないマラソンレースをしているようなものに感じました。マラソンは何キロ走るかによってペース配分が違います。何キロ走ればいいのかわからないと、どのくらいのペースで走ればいいのかわかりません。
最初から全力で走れば、間もなくダウンしてしまうでしょう。しかし夫の看病に全力で取り組まないのは、申し訳ないことではないか、しかし私がダウンするわけにはいかない。かといっていくら活動しても疲れないというほどタフではない。
トンネルから抜け出ること、マラソンのゴールを迎えること、それは夫の病気が終わること、すなわち「死」ということ?だったら、トンネルの終わりやマラソンのゴールを望むことは、夫の死を望むこと。走り続けることを望むことこそ、正しい在り方だ。
そもそも死ぬとは限らない、奇跡だって起こる、奇跡を信じるべきだ。死を意識すること自体、罪なのではないか。
そんな葛藤をいつも持っていました。答えの出ない問いが、グルグル頭を駆け巡ります。そして、ふだん泣くことなんてなかった私が、夫にわからないよう毎日泣いていました。
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