鍼灸専門学校の1年生時、毎日学校に行くだけで精一杯でした。2年生になるころ、友人から
「昼間暇なんでしょ。私が働いている鍼灸接骨院で2週間だけ人を募集しているんだけど働かない?」
と持ちかけられました。自宅から遠かったのですが2週間だけならいいかな、と思って引き受けました。
鍼灸専門学校の学生なので施術の補助的なことをやります。患者様に鍼は打ちません。
初めてのことで患者様と接すること自体とても緊張したのを覚えています。
とりあえず2週間が終わると院長から「これからも続けて来てくれるでしょ。」と言われました。
思ってもみなかったことですが何かのご縁でいただいた話で、そろそろ働いてもいいよということかなと思い
「はい。」と即答。こうして鍼灸接骨院で働くことなりました。
そこは鍼灸接骨院という名の通り、接骨院的治療と鍼灸治療両方やります。
ですから両方の勉強になったのです。院長は出し惜しみせず何でも教えてくださいました。
当時院長は体調があまり良くなく、昼休みにスタッフで院長の治療をしていました。
院長は「好きにやっていい」ということで、これがとても勉強になったのです。
また院長の治療だけでなく、昼休みは自由に練習させていただきました。
ここで多くのことを学ばせていただき、ほんとに感謝しています。
学業に仕事に自分自身の治療にと、毎日忙しくなってきました。
それをこなせるようになっていましたが、腎の脈は相変わらずありませんでした。
まだなのか、、と思いましたが、あきらめず治療は続けていました。
というか自分自身の治療をすることはもはや当たり前のことになっていました。
こうして鍼灸専門学校の日々が過ぎていきました。
ひとつ治療の効果が数字で表れたことがあります。それは視力。
専門学校入学当時、左右とも0.2だった視力が年々良くなり、3年時には右1.5、左1.2になったのです。
視力を良くするために鍼灸治療をやっていたわけではありませんが、全身調整の治療およびありとあらゆるところに鍼を打っていて、
結果的に目も良くなりました。
その他に、生理痛、花粉症、不眠症などもどんどん改善していきました。しかし腎の脈はまだでした。
私の腎虚はなかなかしぶといです。
3年時末の国家試験、無事合格し、卒業となりました。
夫を亡くしてから4年ちょっと、鍼灸師になることだけを目標に生きてきました。
何者でもなかった自分が鍼灸師になれたことは心からうれしかったです。
しかしこの先鍼灸師としてやっていけるかどうか、ようは生計を立てていけるか、それは未知数です。
そして腎の力はいつつくのか。まだまだ未熟な私でした。
つづく
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